詩人高橋睦郎の本に、こんな記述があった。1966年に高橋が大江健三郎に第四詩集『汚れたる者はさらに汚れたることをなせ』を贈呈した。それに対する大江からの礼状に「自分は三島(由紀夫)=澁澤(龍彦)=高橋(睦郎)的世界は苦手だが、今回の詩集には共感した」(『三島由紀夫のエラボレーション』)と。
大江が苦手だという「三島=澁澤=高橋的世界」とはいかなるものか?例えばこれに対し、「大江=武満(徹)=谷川(俊太郎)的世界」というのがあるかもしれない。
60年代の文系青少年は、どちらの世界によりシンパシーを感じるかで、何となくその人の感性の傾きを窺い知ることができる。ちなみに私自身は断然前者だった。
もちろん、こうした文化的な世界をはっきり色分けすることは本質を見誤る危険があるが、敢えて両者を較べてみると、一言で云えば前者を好むのは「目の人」であり、後者を好むのは「耳の人」ではないかと考える。
三島は、「私は『目』だけの人間になるのは、死んでもいやだ。それは化物になることだと思ふ。それでも私が、生來、視覺型の人間であることは、自ら認めざるをえない。私は音樂でさへ、聽くことができず、見てしまふ人間なのだ」(『目 ある藝術斷想』)と自己分析。澁澤は、デュシャンの云う「認識の欲望をかきたてる」観念の絵画より、「視覚的網膜的な世界に安住していたい」 (81’『マルセル・デュシャン展図録』) と述べ、高橋自身も初めて『ノヴェンバー・ステップス』を聴いた時の印象を、「それは音楽だから聴覚に訴えるもののはずなのに、ぼくは視覚的に感じていた。耳で見ていた、といったらもっと近いだろうか」(『友達の作り方』)と告白している。
一方後者は、大江の短編小説『頭のいい「雨の木」』に触発され、武満が打楽器アンサンブル曲『雨の樹』を作曲。この曲の初演を受けて大江は短編『「雨の木」を聴く女たち」』を書いた。また武満と谷川は『系図(ファミリー・トゥリー)-若い人たちの音楽詩-』をはじめ共作が多く、三者は音楽を媒介としたコラボレーションを度々重ねきた。
ところで、60年代後半から70年代前半にかけての激甚な文化的嵐は、“アングラ”とか“アヴァンギャルド”とか呼ばれるが、両者は微妙にニュアンスが違う。アヴァンギャルドが常に先鋭的な表現を目指すのに対し、アングラの方は唐十郎が現代の“河原者”を自称し、寺山修司が“見世物の復権”を宣言、土方巽は“東北の土俗性”にこだわるなど近代性に背を向け、前近代の闇に遡行するアナクロニズム(種村季弘に同名の快著がある!)的志向が強い。そしてどういうわけか、アングラ信奉者(私を含めはぐれ者が多かった)は三島=澁澤=高橋的世界を、アヴァンギャルド追走派(優等生が多かった)は大江=武満=谷川的世界を、より好むような傾向があったように記憶する。
今回これらの記述は当時私自身が感じていた空気感による独断と偏見だが、いずれもっと掘り下げて考えてみたい。
最後に・・・
「人が視る(見る)のを見ることができる。だが、聞くのを聞くことはできぬ。」(マルセル・デュシャン語録=瀧口修造)


