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005. -ソロ活の正義

 

うちの隣にある斜面は、父と母がこまめに手入れしてくれていた。
二人が他界した後私が放置してしまったせいで竹が伸び放題、向こう側に見えたはずの景色は遮られ、もうどうにでもなれとさえ思っていた。

 

その重い腰をやっと上げたのは今年に入ってからで、整わない足元に身体を持って行かれそうになりながら一本一本鋸で切り、束になったら引っ張り下ろして積み上げていった。
いつの間にか顔も服も竹の粉塗れになっていて、何となく、子供の頃に近所の小さな山で一人秘密基地を作って遊んだあの頃の私を思い出した。

それなりの面積を切り進め、やっと腰を下ろせるくらいになったところでふと目線を遠くへやるとそこには、一面に広がったススキが夕日に照らされながら波立つように揺れ、私の髪も優しくなびいた。
そういえば両親は、この景色を気に入ってこの土地を買い、家を建てたのだ。

 

斜面の淵には、母が植えたニンジンボクが2本植わっていて、重みで垂れ下がるように伸びた枝々は、溝を超えフェンスを超えてうちの敷地へと入り込み、柔らかな風にゆったりと揺られている。
時期になるとその先端に紫色の花が咲き、何種類もの蜂や蝶が蜜を集めにやって来る、その全体の光景がなんとも美しいことに気づかされたのは、わずか1年前のことだ。

この家が建てられてもう30年になるが、母がどこでニンジンボクを知り、いつ植えたのか、なぜニンジンボクを選んだのか、私は知らないままだ。
確かに母が「ニンジンボクがナントカ….」、と言った内の ’ニンジンボク’ の部分は憶えているが、その後に続く ’ナントカ’ の部分が、’植えたよ’ だったか、’咲いたよ’ だったか、’綺麗だよ’ だったか、もしくはもっと別の何かだったのか。
毎年この時期、此処にこの光景が、きっとあったはずなのに記憶していないのは、私が母の存在を拒み続けたからだと思うのだ。

 

 

「前髪は眉より上」「髪を結ぶゴムは黒・茶・紺」「ソックスは白」…校則はとても窮屈だった。
ある日、全面ユニオンジャック柄のソックスで登校しようとした私を見て母は、「不良になりよるん?怖いわ…」と言った。’私のことが怖い?’…今でも鮮明に憶えている、この一言で私は、母をナメた。
それ以降、大人になればなるほど関係性は崩れ、エスカレートし続けた。
こちらから話しかけることも目を合わせることもなくなり、酷い言葉で母を泣かせた。
がんで両乳房を切除、さらには卵巣と子宮を摘出し、最終的には全身転移性の骨がんだった母の病院に私は、たったの一度も付き添わなかったし、たったの一度も見舞いに行かなかった。
この世で一番嫌いな人、それが母だったからだ。

 

 

こうして今ニンジンボクを眺めていて思い出すのは、意思疎通していた頃の母ばかりだ。
料理教室で学んだばかりの蝶々の形をしたケーキを、7歳の誕生日に作ってくれたこと。
スーパーの軽食コーナーでいつも並んで座り、私はたこ焼き、母はきつねうどんを注文するのがきまりだったこと。
ソフトボールが得意だった母に付き合って、二人で散々キャッチボールしたこと。
中学1年生の時、ごはんを食べながらぼーっとしていたら「好きな人でもおるん?」と聞かれたこと。

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