「昭南島」と聞いて、いまどこのことか分かる人は少ないのではないでしょうか。1942年2月から1945年8月までの約3年半、日本占領下のシンガポールはこう呼ばれていました。“昭和にできた南洋の領土”というほどの意味です。
シンガポールを巡る日英の闘いは苛烈で、記録によると約1週間の戦闘で双方に7,000人近い戦死者が出たといわれます。シンガポール島は面積約720km²。東京23区とほぼ同程度、山口市のわずか6割ほどの小さな島を舞台に、両軍合わせて十数万もの軍勢が激突したわけですから、島の多くが焦土化したことは想像に難くありません。
戦後シンガポールは独立、未曾有の発展を遂げ、いまや高層ビルが林立するアジア有数の経済大国となっているのはご存じの通りです。
だからシンガポールには、自然など全くないと誰もが考えます。僕もそうでした。ところが、この島が珍獣中の珍獣ヒヨケザルの、貴重な生息地であることを知って大変驚き、さっそく撮影に赴きました。
ヒヨケザルは、ムササビのように前肢と後肢の間の皮膜を広げ、100m以上を飛ぶことができるため“空飛ぶサル”の異名がありますが、サルの仲間ではありません。サルと名付けられたのは、かつて原始的なサル原猿類の一種と考えられていたためで、後の研究によって近縁種がない独特の生きものだということが判明しました。

夜の森を飛ぶヒヨケザル
シンガポールのヒヨケザルの主要な生息地は、島中央部ブキティマの丘に広がる森。と言っても都市公園のような所で、市民の散歩やピクニックなど憩いの場所です。このブキティマの丘こそ、かつてシンガポール攻防戦の最大の激戦地。弾丸が飛び交い、雨の様に降り注ぐ爆弾が炸裂する中で、ヒヨケザルは良くぞ生き延びたと思います。

ブキティマの森
僕はこのロケの間にぜひ訪ねたかったのが、シンガポール博物館と植物園です。そこは戦前ラッフルズ博物館と呼ばれ、英国の熱帯雨林研究の拠点でしたが、占領と共に日本軍に接収され、昭南博物館と改名されました。ところが、そこに蓄積された膨大な標本や研究資料を、日英両国の研究者が協力して破壊から守り、敵味方を越えて共同研究が進められたという、信じられないような史実を1冊の本で知りました。英国の植物学者コーナー博士が著わした「思い出の昭南博物館」です。そしてそれを可能にしたのは、館長に就任した動物学者としても著名な、尾張徳川家十九代当主徳川義親侯爵。敵性人として収容された英国人研究者たちを毎日収容所から連れ出し、日本人研究者と共に研究できるよう取り計らったのです。その結果、日英科学者の間で同志的友情が育まれました。

シンガポール博物館(旧昭南博物館)
博物館付属の植物園はブキティマの森に続く自然林の中にあり、ここもヒヨケザルの大事な生息地。戦時を通して無事だった植物園の森は、ヒヨケザルの避難場だったでしょう。とすれば、日英科学者の友情が、珍獣ヒヨケザルをも救ったことになります。
戦争こそ最大の自然破壊。精妙な自然の真理を求める心には、敵味方はありません。そこに僕は、人間への限りない希望をみるのです。