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007.  -ソロ活の正義

 

『自分だけのために炊事を真面目にするのは難しい。』これはもう、悟りである。
こんなに暑いとさぁーやる気もでないよねぇー…なんていうのは表向き夏だけに通用する言い訳、一人暮らしにおける料理のやる気スイッチについては、ほぼオールシーズン切れてしまっているのだ。

一時は、毎日料理作るぞ!!などと意気込んでみた。が、結局は続かなかった。
家族一緒に暮らしていたころは、あんなにやっていた料理。

やっぱり ‘自分のためだけ’ に頑張るには無理がある、と悟った私は近ごろ、新鮮な野菜や果物を買い込んではそのままもしくは蒸す焼くのみして塩にて食べる、という技を頻発している。
コレが美味しい上に素材の持ち味がよくわかって、おサボりのはずが得した気分になっている。

 

そんな折、いただきものの素麺を茹でて大皿に盛り、その上に豚しゃぶと、知人のアイデアで冷蔵庫に残していた小玉スイカを盛ってタレをぶっかけて食べてみたところ、タレの塩味とスイカの甘味が絶妙にマッチして美味しかった。 

また別の日は、スーパーでアボカドとドラゴンフルーツを買い、帰宅して早速カットしてみるとどちらも熟度が初の大当たりで、おぉ♪などと一人で小さく喜びの声を上げ、早く食べたい気持ちが抑えられずぶっきら棒にお皿に並べ、急いでソファに座り、ニヤつきながらスプーンを構え、存分に味わってニヤニヤした上、その勢いでお気に入りのデニムを履いて鏡の前に立ち、悪くないねっ♪などと上機嫌だった。

おサボりしているわりには充実した食生活である。よろしい。

 

今でこそ食べることは好きだけれど、子供のころはどうだったかというと、ひとまず小学2年生まで給食が苦手だった。
掃除時間になっても食べていることはしょっちゅう、放課後まで居残って食べることも少なくなくて、時には先生に箸を取り上げられて残しているものを無理やり口に押し込まれて涙目で食べる子もいて、恐怖だった。

あの日の給食は、私の大嫌いなイワシのフライだった。
40人超えの机が窮屈に並ぶ教室に残されたのは私と、同じ理由で残っていたクラスメイトたった2人。
いつもなら、食べきるまで担任の先生が付きっきりなのだけれど、あの日は不在だった。
まるで箸を舐めているだけなのではと思えるほどちびりちびり、ちっとも進まない私たち。独特の静けさ。
食べ切れる気は全くしないけれど早く帰りたいと思った私はとうとう、残りほんの数口まで頑張ったフライをチリ紙に包んで教室の隅のごみ箱に捨てた。
あの後担任の先生は来たのか、あとの2人がどうしたかは記憶にないが、心臓がバクバクしたことだけはよく憶えている。

 

そういえば幼いころ、台所で素麺を茹でる母の隣で、茹でる前の麺を何本か失敬してポリポリ食べるの、好きだったなぁ。
母は「それ、美味しいかぁ?」って言ってたけど。

 

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