声わざの悲しきことは、我が身崩れぬるのち、とどまることのなきなり。その故に、亡からむあとに人見よとて、いまだ世になき今様の口伝を作りおくところなり。
声技の悲しいことは、自分がいなくなった後に残ることのない点である。そのために、私の死後、人が見るように、いまだ世にはない今様の口伝を作っておくのである。
(『梁塵秘抄口伝集』巻第十、現代語訳:植木朝子編『梁塵秘抄』参照)

今様と言えば、この方無しには語れない。「今様狂い」とも称された、時の「治天の君」後白河院。
ことに今様を熱愛され、昼も夜も歌い明かし、声が出なくなること三度、喉が腫れて湯水が通るのも難しいほど打ち込んだといいます。
今様は民草から流行った歌謡でしたが、後白河院は今様を歌うと聞けば身分の低い者でも宮中に招いて歌わせ習ったり、十五夜にわたって今様合わせを開催したり(「合わせ物」という左右に分かれて競い合う遊び。今でいう紅白歌合戦のようなもの)、そして院自ら今様の歌集を編纂しました。
貴賤を問わず京中で歌われた今様もやがて廃れていきましたが、院の残した『梁塵秘抄』『梁塵秘抄口伝集』の一部(写しの断簡)が明治、大正にかけて発見されたことにより、再び注目を集めます。(未だ大部分が見つかっていないので、もし古文書が出てきたら大発見)
「亡からむあとに人見よ」と記した後白河院。書き残される漢詩や和歌と違い、口伝・声技である性質故に歌い捨てられ、忘れ去られる運命にあった今様を、時を超えて繋いだ今様愛の力は凄まじいなあと思います。そこには愛執と共に、真摯な祈りの心も感じられます。
私の師は「今様合わせ」を現代に復興し、今年で41年となります。
復興した今様合わせでは、左右に分かれた歌人が詠題に沿って七五調四節の今様を詠み(七五・七五・七五・七五)、判者が勝敗を決め(引き分けの場合は持となる)、勝った方の歌に白拍子が即興で舞を付けます。
元々今様は「折に合ふ」ことが強く求められた歌謡でした。その場に相応しい今様を選ぶことや、場合によってうまく歌い替える技量が求められました。今様合わせはそれに通じる部分があると思っていて、即興遊び故の独特の空気感を感じることができ、私は今様合わせが大好きでした。誰の歌が勝つかはもちろんですが、どの白拍子が舞を付けるかによっても、一人ひとり歌の解釈や想像力、体の使い方や表現が異なるので、個性が出るのも面白い。時には観客席に色紙を回して歌を作って頂くこともあり、偶然、その場と時を共有した方と今様を通して交流が持てるのも魅力の一つでした。
以前、知人が「中秋」というお題で今様を詠んで下さり返歌をしました。秋の夜長ということで、のせてみます。


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参考文献:
後白河院、植木朝子編『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 梁塵秘抄』(角川学芸出版、2009年)
馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』(講談社、2010年)
