カルチャー掘り起こしとくにもやまにも

文化情報サイト徳にも山にも ロゴ

舞台は幻 – 嗜好のけんちく〈17〉

山口市内にある今八幡宮、豊榮(とよさか)神社、野田神社について書く。これらはほぼ同じ場所にある。

まずは小高い丘の上にある今八幡宮。創建は不明だが、以前紹介した凌雲寺を開基した大内義興が文亀三年(1508)年に現在の社殿を建立した。本殿・拝殿・楼門は国の重要文化財に指定される。中でも、楼門と拝殿を兼ねた造り方は山口地方独特な形式で、近郊には同じ形式のものが多く見られ、今八幡宮が最も古いそうだ。意匠を見れば、本殿の海老虹梁(えびこうりょう)や楼門柱下の礎盤(そばん)など禅宗様の特徴も見られる。禅宗様?こちらも以前紹介した日本最古の禅宗様建築が山口県にある。やはりテストに出るので、必覚事項笑。そんな歴史や建築の知識なんて忘れていても十分楽しい。

参道の石段を登ると徐々に見えてくる社殿の楼門。左右に広がった翼廊を持ち、中央には上を向くほど反り上がった浮遊感のある屋根。ダイナミック!迫力と繊細さが同時に感じられる社殿群はエレガント!

今八幡宮の社殿を参道から見上げる

そんな今八幡宮の脇を抜けると豊榮神社と野田神社がすぐ裏の丘に。豊榮神社は長州藩毛利家の礎を築いた毛利元就公を祀り、野田神社は明治維新の功労者で江戸時代最後の長州藩主毛利敬親公を祀る。関ヶ原の戦い後、毛利家が広島から萩へ居城を移す際に元就公の霊を萩に移し、明治四年に萩からこの場所へ遷座し豊榮神社に。野田神社は敬親公の没後、明治四年にこの地に祀られたことに始まる。

両神社の現在の社殿は明治の造営で文化財指定は受けていないが、毛利元就の肖像として私たちがよく目にする元就像は豊榮神社所蔵の重要文化財。野田神社所蔵の太刀も同じく重要文化財。由緒正しいのだ。建築に目を移すと豊榮神社と野田神社、入口は別々で鳥居をくぐり、門を抜け開けた境内の中に入ると、そこにほぼほぼ同じように隣り合って二つの神社の社殿が同じ空間に並んで建っている!300年の時を隔てた毛利家の当主の御霊が苔むす静謐な場を共有して存在する。とても神聖な気持ちに。今八幡宮とはまた違った空間体験。

手前は豊榮神社の釣屋と右手に拝殿、左手奥には野田神社の釣屋が見える

最後に参道を降りると山口市有形文化財の野田神社能楽堂が見えてくる。明治維新70年記念事業として長州藩主末裔の元昭公が新築寄附したもので、説明板によれば平成三年に今の場所へ移築され、本願寺北能舞台や厳島神社能舞台に劣ることのない、規模・質共に一流の能舞台らしい。が、普段は閉まっている。不定期だが数年おきに薪能(たきぎのう)が開催される。前回は202511月に開催され、狂言では野村萬斎も舞台に立った。この能舞台が使われるところを一度は見たいと思い、前々回の202210月に開催された薪能を観劇した。

演目は

能  弱法師

狂言 文立山

能  紅葉狩

狂言は分かりやすくケラケラ笑えたが、能の演目は解説を読んでも…。それでも、その日のその時間にだけ現れた幽玄な空間は強く印象に残った。

能舞台の普段の光景と薪能の開催時

西の京と言われ栄華を誇った室町の世も、戦国時代のヒーローの存在やその末裔や志士たちが躍動した幕末の世も、能の世界も実感を持つことはなかなか難しい。しかし、幻だと思ってそこに身を浸せることができれば、建築もより楽しめる。独りよがりでも良いのだ。だって嗜好なんだから笑。

 


今八幡宮 所在地:山口県山口市上宇野令828−1

Google map https://maps.app.goo.gl/PtvLZdmBdDBR1HDP6

 

豊榮神社・野田神社 所在地:山口県山口市天花1丁目1−2

Google map https://maps.app.goo.gl/T1UPGCbvjp9jHzkb9

カルチャー掘り起こし とくにもやまにも