カルチャー掘り起こしとくにもやまにも

文化情報サイト徳にも山にも ロゴ

ローリング・シックスティーズ その3 「“現代音楽”はヴィトンやグッチか?」

私が初めて武満徹の音楽に接したのは、60年代の終わりころだったと思う。67年にニューヨークフィル創立125周年のために委嘱された「ノーヴェンバー・ステップス」が欧米で大評判となり、現代音楽としては異例にレコードが売れた。その頃私はJAZZとりわけFREE JAZZに熱中していて、現代音楽には余り興味が無かった。だが、JAZZのマイナーレーベルを個人輸入して売っていた、新宿花園神社裏のレコード店マルミの超頑固おやじ(確か村上春樹も説教された話を何かに書いていた)が、私を前にノーヴェンバー・ステップスを絶賛したのをはっきり覚えている。

70年代以降、私は武満のコンサートに足繫く通うようになり、レコードやCDも集め始めた。とりわけピアニストのピーター・ゼルキンらアンサンブルTASHIが演奏する「QUATRAIN Ⅱ」はいまも繰り返し聴く好きな一枚だ。

だから先日「武満徹 100年をこえて」というコンサートシリーズが、今年から5年かけて毎年開催されるのを新聞記事で知り、チケット発売日の朝を待って販売サイトを開いたところ、何と即日完売。“現代音楽”のチケットが、発売と同時に売り切れるなど空前絶後だ。

先週私は権代敦彦の新作オペラ「ZEN」の世界初演を聴きに行った。これも新聞で事前に大きく取り上げられ、公演日が迫っていたが、幸運にも最前列の良い席がまだ空いていた。台本には少し疑問が残ったが、権代の音楽は素晴らしかった。現代音楽にこれほど高揚感を味わったことは滅多にない。幸い当日にはホールがほぼ埋まっていた。現代音楽の公演としては大成功だろう。たとえ音楽がどんなに良くても、客席はがらがらというのは、現代音楽では珍しくないのだから。

詩人の富岡多恵子の本(「行為と芸術 十三人の作家」1970年刊)の中で、武満本人が“前衛”と呼ばれることへの自戒の念を述べている。要約すると、

“バッハが生きている間にバッハの音楽を聴いた人は、合計してもせいぜい二千人くらいだった。一方ノーヴェンバー・ステップスを聴くのに、一度に二千人以上の人が上野の文化会館へ来た。その前にはアメリカでも演奏されているし、レコードにもなっている。映画やテレビでも武満の音楽は聴かれている。こういうことは反省しなければいけないのです”と。

 

没後30年、本人の意に反して、いまや“世界のタケミツ”はブランド化しているのだろう。かつてカラヤンのレコードが出る度にベストセラーになったり、今でもウィーンフィルやベルリンフィルの来日公演の目の玉が飛び出るほどの高額チケットが飛ぶように売れたり。だが、カラヤンにも駄盤はあるし、綺羅星の如く名手ぞろいのベルリンフィルだって不調の時はあると楽員自身が語っていた。音楽の良し悪しとは関係なく、日本人のブランド信仰はクラシック音楽の世界にも確実にある。

私は当分の間、タケミツのコンサートからは距離を置き、自宅でひとり静かにCDを聴くことにしようと思う。

カルチャー掘り起こし とくにもやまにも