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006. ーソロ活の正義

 

私が幼なかった頃、両親は小さな会社をやっていた。
営業のために全国を飛び回り家にはほとんどいなかった父と、自宅で事務方を一手に引き受けた母。
小学4年でバレーボールを始めるまでの週末、私は時々父方の祖父母の家に預けられたが、あれはきっと仕事が忙しかったからだ、と気が付いたのは最近のこと。


祖父母の家は、私が両親と暮らした町よりもずっとずっと長閑だった。
山からの水が流れる音と、牛や鶏の鳴き声、虫の飛ぶ音だけが聞こえるような村の、一番高いところ、立派な母屋だった。
その向かいに建てられた大きな納屋には、祖父が梁に縄を括りつけて作ってくれたブランコがあった。

居間は掘りごたつになっていて、掃き出しの窓越しに裏庭を真正面から眺められるのが祖父の定席だった。
祖父の右側にはテレビが置かれていて、時間になると祖父は、孫の手を器用に使ってテレビを点けチャンネルを変え、暴れん坊将軍や遠山の金さんを観る人だった。
そして掃き出し窓のところには、品の良いカリモクの椅子が二脚と小さなテーブルが一つ。
私はそこから、遠くの山で猿の群れが木登りをしていないか探したり、落雷して真っ二つに割かれた樹を眺めてみたりするのがなんとなく好きで、よく望遠鏡を覗いた。
裏庭に作られた池にはいもりが泳いでいて、私もその池に入ってずぶ濡れで遊んだりもした。




あの日も私は祖父母の家で過ごしていた。
父や母も一緒にいたから、お盆とかお正月だったのかもしれない。
ごはんの支度ができるころ、私は父から食卓の台拭きを命じられた。
受け取った濡れ布巾で拭いたのだが、直ぐに父に拭き直されてしまった。
ちょっと怒っていた気がする、「お前の拭き方は、’撫でた’っちゅーんや」と加えた。
あの時の私がどんな気持ちだったかは憶えていないが、私は今でも、私の隣に膝をつきグッと力を込めるように隅々まで几帳面に拭き直した父の姿やあの声を、台拭きをする度に思い出すのだ。

戦争を知る父にとって食卓におかずがたくさん並ぶことが贅沢だったか、祖母や母が一生懸命作った料理への感謝か、みんなが気持ち良く食べられるようにとの気配りか。
もっとほかの理由かもしれないし、何事にも几帳面だった父にとっては習慣であっただけかもしれない。
あれ以来、父がテーブルを拭く姿を幾度となく見てきたが、いつも力を込めて隅々まで。
几帳面だった。



もう何年も前のことになるが、大雨のせいでちっとも乾かない洗濯物一式をコインランドリーに放り込んだ。
乾燥完了のブザーが鳴り、フカフカになった洗濯物をたたんでいると、たまたま居合わせた見知らぬご年配の女性から「あなた、とても綺麗にたたむのねぇ」と褒められたことがあった。

タオルを半分に折り、また半分に折る、そして最後の一折は手の平をスッとタオルの間に差し入れるようにして筋をつけてから、角と角をそっと合わせる。
ある日父がタオルを一枚一枚几帳面にたたんでゆく姿をたまたま見かけた当時の私は、父のことは好きでなかったはずだけど、なぜかそれを真似るようになった。
今でも私のタオルのたたみ方は、父と同じなのだ。

 

 

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