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第3回 二宮金次郎のどこが偉大なのか(1つ目)

二宮金次郎の特に偉大なところ1つ目は、生涯で600以上の村々を再建し、その過程でものすごく多くの人々を救済したという点です。

小田原城内の報徳二宮神社境内にある二宮金次郎像

二宮金次郎が生きた天明、そして天保の時代は深刻な飢饉が発生しました。なんせ江戸時代の三大飢饉(享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉)と言われる飢饉の内の2つも二宮金次郎が生きた時代に発生しているのです。特に二宮金次郎が大活躍した天保4年(1833年)から天保7、8年(1836年、1837年)にかけて発生した天保の大飢饉では、全国で餓死者が20万~30万人に達したと言われています。高校の教科書でさらっと習った江戸の三大飢饉ですが、当時を生きていた人たちにとってはまさに地獄のような状況だったはずです。ご飯を食べられずに餓死することはどれほど苦しく恐ろしかったことでしょう。飢饉が発生した時期は、各地で百姓一揆や打ちこわし等の物騒な事件も頻発したことでしょう。天保8年(1837年)には大阪町奉行元与力の大塩平八郎が乱を起こしました。かの有名な大塩平八郎の乱です。

そんな天保の大飢饉の当時、二宮金次郎が直接財政再建に取り組んでいた桜町(現在の栃木県真岡市)では一人の餓死者も出さなかったばかりか、お救い小屋(炊き出し小屋)を設け、隣接する地域の人々を救うだけの余裕すらあったそうです。では、なぜそんなことが出来たのでしょうか。次のようなことが考えられます。

・二宮金次郎が若いころに苦労して築き上げた全財産を売却し現金化したもの

を基金として働き者に褒美を与えたり、生活に困っている人に無利息で貸し

付けた

・日頃から新田開発を奨励し、収穫を年々増やしていた

・飢饉や水害等の天災地変は、いつか必ず起こるものと想定し、常に数年分の

食糧を蓄えていた

そして、なんといっても二宮金次郎の洞察力と指導力によるところが大きいと思います。それを象徴する有名なエピソードとして新井恵美子氏の『江戸の家計簿』の記述が分かり易いので、ご紹介させていただきます。

 

日本中をゆるがした天保三年の大飢饉も、彼(二宮金次郎)は茄子の味で察知したという話は有名だ。その年の初夏、宇都宮で茄子を食した彼は「秋茄子の味がする」と言った。

「これは危ない。自然界には秋が来てしまっている」と尊徳はあわてた。「秋茄子はヨメに食わすな」と言われるほど特別味が良いのだが、それどころではない。尊徳はその日のうちに桜町三カ村に命令を出して、食物の貯蔵をさせた。真岡木綿の名の残る真岡は木綿の産地として次第に有名になり始めていた。これからは沢山の収入が見込まれるとあって、その年も綿の木はどこの家でも余分に植えた。それなのに、尊徳は綿の苗を抜き捨てよと命じた。飢饉の年には何よりも食物である。空き地という空き地には大根、カブ、人参、大豆、ヒエなど手当たり次第、植えさせた。

 

参考文献

天保の大飢饉の際の桜町領について

『教養として知っておきたい二宮尊徳』(松沢成文著、PHP新書)

秋茄子のエピソードについて

『江戸の家計簿』(新井恵美子、神奈川県新聞社・かなしん出版)

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