『住む場所のいづこにもなき悲しみに砂漠清しと言ひしロレンス』
最近友人が見せてくれた春日井建の歌集「青葦」にこの歌を見付け、60年も昔の思い出が一気に蘇りました。この歌は映画「アラビアのロレンス」の中で、ピーター・オトゥール扮するロレンスが、“なぜ砂漠に惹かれるのか?”という問いに、“清潔だから”と答える場面から想を得たものと思われます。
僕はこの映画が封切られた1963年当時中学2年、いまは無い有楽座で観ました。そして僕も歌人と同様、4時間近い映画の中で一番強く心に焼き付いたのがこの台詞です。“Clean”という単語が、ずっと後まで、頭の中にこだまの様に残りました。僕の砂漠への憧れは、この時から始まったのかもしれません。
ということで、今回は熱帯雨林から一転、砂漠のお話をしましょう。
「砂漠」というと、どんなイメージをもちますか?例えば前川清の「東京砂漠」。この歌を聴くとジーンとしますが、実際の砂漠は歌の例えのような殺伐とした世界では決してありません。それどころか、想像力の源泉のような土地と言えるでしょう。
タクラマカン砂漠、“さまよえる湖”ロプノールの畔に栄えた幻の都楼蘭を探し求めたヘディン。サハラの果て、先史時代の壁画に魅せられ、岩山の迷宮タッシリ・ナジェールに迷い込んだアンリ・ロート。そのサハラに不時着し、死線を彷徨う中で幻視した「星の王子さま」の作者、郵便飛行士サン=デクジュペリ。彼らは皆、砂漠に魅入られた“砂の巡礼者”たちです。
昼間の気温、摂氏50度。ロレンスの映画では“太陽の鉄床”と表現された、まさにハンマーで頭を殴りつけられるような暴力的な炎熱。その中を、ロレンスはラクダに跨って、僕らはトラックの剥き出しの荷台で揺られて移動します。体温をはるかに上回る気温の中では、風が焚火の様で、当たると火傷しそうです。
夜はハバーブと呼ばれる激しい砂嵐が吹きまくり、安眠を妨げます。
水は何十キロか何百キロ毎に点在するオアシス(というより深井戸)で得られるだけ。
しかし、そんな生命を拒絶するような苛烈極まりない砂の世界を旅していると、驚くことに突然人に出会います。遊牧民です。時にはたった一人で数頭のヤギを追っている少年もいます。はるか地平線まで見渡しても、家族の姿も、野営地も見当たりません。ほとんど目印もない砂と岩の広がりを、少年は迷うことなく歩いて行きます。
僕がこれまで行ったアフリカのヌビア砂漠にも、中央アジアのゴビ砂漠にも、そしてメキシコのチワワ砂漠にも、常に人の営みがありました。何でこんな過酷な環境で、数百年数千年も、彼らは暮らしているのだろう。地球上には、もっともっと住み易い場所はあるのに・・・
もしかするとロレンスの「砂漠清し」に、その疑問への答えが秘められているのかもしれません。