「とくにもやまにも」の記事の末尾にあるぼくのプロフィールには“半引退状態”と書かれていますが、このたび仕事を完全に引退することにしました。
特段「喜寿」をむかえたからというわけではなく(当人には何も喜ばしくもめでたくもない、「忌呪」だ!)、そろそろ体力の限界かなというのが漠然とした理由です。
これまで何か国ぐらい行ったのかと聞かれることがありますが、国の数で言ったら大したことはありません。数えたことはないけれど、一回に一週間以上ロケした国はせいぜい20~30か国程度、もっと少ないかもしれません。僕ら自然ドキュメンタリー制作者は、広く浅くではなく、一つの自然に深く関われば関わるだけ見えてくるものを、長期にわたって克明に記録するのが本道だからです。だからアマゾンを含む南米には20回近く、アフリカ大陸の東に浮かぶマダガスカル島には10回近く繰り返し訪れた一方、アフリカ大陸本土やオーストラリア大陸では、ほとんどロケをした事がありません。
ただ、仕事と関わりなく、体力がある内に行けなくて残念に思う場所もあります。
たとえば、詩人の田村隆一は、
ある旅行作家が
世界の国々を評価して
ネパールはベスト・ワン
インドはワースト・ワン
天国と地獄が
国境を接しているのはいささか皮肉だが
透明な天国の平和より知的な地獄の方が面白いというのは
詩人の評価だ
三月下旬 摂氏四十度の
カルカッタから逃げ出して
ぼくはネパールのカトマンズへ飛んだ
たった一時間で地獄から天国へ亡命できるのだから
現代の地獄めぐりも底が知れている
不可触民(ガンジー曰く、神の子)もマラリヤ蚊もいなかったが
「ヒマラヤの聖なる水だけは気を付けなさい」
裏町のチベット人の飲み屋で
若い王様の弟さんがぼくに忠告した
(田村隆一「ヒマラヤの水」)
ぼくも、隆一先生同様“透明な天国”(この天国でも、酒は美味いし姉ちゃんはきれいかどうかは知りませんが、たとえ行ったところで、“ほな、出て行け~”と追い返されるのが関の山、いや“針の山”?)より、“地獄”めぐりができなかったことはちょっぴり心残りです。何しろ僕は昔から地獄が大好きで、学生時代の60年代には、はるばる友人と下北半島は恐山(おばあさんのイタコはいたが、かの有名な伊太郎さんはみかけなかった)で血の池地獄や三途の川、賽の河原などを巡ったり、中川信夫監督のカルト的怪作、「地獄」(新東宝1960年)に感心したり(沼田曜一の迫真の演技は怖かった)していたほどです。

「恐山」これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語

中川信夫「地獄」の1シーン(吹き出さないでくださいね)
天国には死んでから行きたいけれど、地獄は生きているうちに見ておきたい。でも老境に入ったぼくがこれからせいぜいできるのは、“インド人もびっくり”する「特製ヱスビーカレー」辛口を食べながら、口の中で地獄めぐりをすることくらいでしょうか。地獄では体力も必要です。
閑話休題、仕事は引退しても、「愉しき熱帯」の連載はまだまだ続けますので、引き続きごひいきに!

インド人もビックリ(芦屋雁之助)1964年ころ