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スター – 嗜好のけんちく〈12〉

「あれはまだ、、、ただのスターだった頃の話なんだけどね(爆笑)」

ラジオも人気な有名シンガーソングライターの有名なエピソードトーク。

先日、街の風景の中である建物が目についた。周南市の旧大河内市営住宅だった。現在は閉鎖されており、おそらく解体を待っている状況だと思われる。

現在閉鎖中の旧大河内市営住宅

なぜ気になったかと言うと、Y字型の平面を持つ「スターハウス」ではないか?と。旧大河内市営住宅は9階建てで高層スターハウスの部類に入るだろうか。

 

戦後の住宅不足解消のために、昭和20年代から全国各地で多くの公営住宅が建設がされた。その多くは階段の両脇に一戸ずつ住戸を配置し積み重ね横に連結した板状の「中層フラット」と呼ばれる住棟で、それが並行に並んで団地を形成していった。そんな中、昭和29年に一浦健という建築家が新たな住戸形式を開発した。それが「スターハウス」だ。(板状住棟に対し、点状の住棟をポイントハウスと呼び、スターハウスやボックスタイプ、L型タイプなど様々な形式が開発されたが、公団発足から昭和30年代中頃にかけては、ポイントハウスといえばほぼスターハウスのことを指していたらしい。)

 

スターハウスは二等辺三角形の階段室を中心に1フロアに三つの住戸が放射状に配置される。各住戸がそれぞれ三面に開口を確保できるので、採光、通風、眺望に優れる。上から見たら星のように見えるのでスターハウス。初期の団地ではかなり積極的に採用され、「日本住宅公団年報1955-6」では「中層フラットとテラスハウスが公団住宅の型の根幹であるとするとこのポイントハウス(スターハウス)は花といえよう」と紹介され、各地の団地で最寄駅につながる目抜通り沿いや、団地中央にランドマークとして配置されるなどシンボル的な扱いをされ人気を博したが、工事費が割高になってしまう点や施工の難しさなどもあり、昭和四十年代に入ると建てられなくなった。

 

古い団地の住棟形式ではあるが、「スターハウス」というキャッチーな名前、一浦という建築家は山口県出身(出身市町不明)。そんなスターハウス、県内に残っていないか調べたら、防府市の市営松原住宅に残っていた。しかも、7棟のスターハウスと2棟のボックス型がまさにポイントハウスに適した扁平な細長い敷地に立ち並んでいる。

上空から見た防府市の松原市営住宅©google

周辺には平成、令和と新しい住宅が建ち並び、その中に取り残された昭和の団地。非常にノスタルジック。現在もお住まいの方がいらっしゃるので、外から眺めるのに留めたが、住戸は三面開口により内部はとても明るく風通しが良さそうで、隣家のことを気にする煩わしさも少なく、非常に住み心地ちが良さそうだ。

左の二棟がスターハウス、右の二棟がボックス型

古い形式の遺産と侮るなかれ。令和元年には東京都北区の旧赤羽台団地のスターハウス3棟(昭和37年)が初めて国の登録有形文化財に登録された。

 

当時はただのスターで今は街の風景に埋もれたものでも、これから街の財産として残すべきビックスターかもしれない。

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