まちなかに現れる彫刻は、海に浮かぶ島のようなものなんじゃないか?そう思い始めてから、とくに彫刻が好きというわけではないのですが、彫刻が気になって放っておけません。

先日、岩国市に山内壮夫(1907年-1975年)の作品があると聞いて、見に行くことにしました。「TAKEO YAMAUCHI 1959」と記名のある《和》。もともと岩国市役所前にあったものが、新庁舎への建て替え工事に際して、吉香公園に移設されたものらしい。どのように置かれていたのか岩国徴古館の職員(学芸員?)さんに尋ねてみましたが、はっきりとは覚えていないようでした。

山内壮夫は北海道出身で、戦前から昭和中期にかけて活躍した彫刻家です。東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)で彫刻を学び、同郷・同世代に本郷新(1905年-1980年)がいます。1939年の新制作派協会の彫刻部の創立に参加、晩年には中原悌二郎賞の審査員もつとめ、67歳で亡くなっています*註1。建築と関わる作例を多く発表していて、今回の吉香公園の作品もそのひとつ。

吉香公園での設置の様子

 

岩国市役所の旧庁舎は1959年に竣工、2008年には現在の新庁舎が竣工しているので、この作品もそれまでの約50年間は、庁舎前に設置されていたはず。旧庁舎は、岩国徴古館と同じく佐藤武夫(1899年-1972年)の設計。佐藤武夫は愛知県出身、旧制岩国中学校の卒業生で、以来、山口に縁のある人生を過ごしたようです。現在の株式会社佐藤総合計画の創設者でもあります。

1945年竣工の岩国徴古館 1998年登録有形文化財

 

岩国徴古館前庭の幾何学的なデザインと左右対称に水平に広がる建築を見ていると、旧庁舎前の山内作品も、直線的でモダンな空間のなかにゆったりと配されていたのだろうという気がしてきます。そしてそれは宇部市役所横の真締川公園に設置された1956年の山内作品《宇部産業祈念像》とも共通するように思えます。もっとも宇部市役所の建築に佐藤武夫は関わっていないし、祈念像は慰霊碑として墓所のような空間が意識された可能性が高いのですが。彫刻《和》が、何かしらのモニュメントとして必要とされ、佐藤武夫によって工夫がなされ、庁舎前という準備された空間の中に設置されたものであったことは確実なのではという気がします。当時の写真がどこかにあるとよいなぁと思います。

背面から見た様子

 

さて、作品を見てみましょう。タイトルを《和》と表記しましたが、これはどなたかのブログにそう書いてあったからというだけで、現地にタイトルを示すものはありません。ただ、作品の様子からして《和》というタイトルはかなりしっくりきます。男女が腕を絡めてフォルム全体がメビウスの輪のようになっていて、まさにUNITYと呼びたくなるような姿。全方位に広がるような三次元的な在り方と、曲線で構成されたフォルムからはロンドを踊るようなリズムと遠心力を感じます。元々どのような目線の高さに設置されていたのかも気になります。いずれにしてもとても心地よい楽しい作品という印象で、60年も前のコンクリート彫刻とは思えない状態の良さでした。