はじめまして。写真家の今井さつきと申します。
写真を撮ったり、踊ったり、ときどきデザインをしたり、なんやかんやいろいろやっています。
自己紹介を長々してもつまらないですよね。なので、私のことは投稿を読むなかで知っていってもらえればいいのかな、と思っています。 (つい昨日友人から「さっちゃんはあんまり自分の話しない。そういう人は恋愛的な意味ではモテない。」という言葉をいただきました。そういうことです。)
さて、先週とある映画を観に行ってきました。中学生のときに出逢って以来、何度も作品で救ってもらってきた監督の最新作です。
そういえば、踊ることへの憧れも監督にもらった気がする。
なんというか、てんでだめでした。
もちろん、伝えたいことが昔から変わらないことや、故郷と向き合う姿勢、人間のどうしようもない部分の描き方など素敵なところもありました。あと、1カットだけすごく好きなカットがありました。いやあ、あれは本当に美しかった。
だけど、なんだかな。
自身の過去作品の上っ面を掬いとったようなシーンの数々。意味のない謎が残る編集。などなど。
なんで、どうしてそうなった?
色々考えて、友人と話して、もうこんなの想像でしかないですが、きっと監督は「ひとり」になっちゃったんだろうな、という結論に至りました。
もちろん映画をつくるにはとてもたくさんの人の力があってこそで、映画が完成しているということはみんなでつくったということではあるけれど。すこし前の作品での話だったり、ほんのり聞こえてくる話だったりから、なんとなく今は「ひとり」でつくってるんだろうなと思いました。なんというか、精神的な?脳みそ的な?ひとり。
ひとりでつくるのって楽だけど、自分だけで自分をはみ出していくのって本当に本当に大変だし難しいし体力がいること。だから、どれだけ面倒くさくても、(だいたいの場合は勘違いだと思っていますが)自分でできると思っても、第三者の目からも対等に意見をもらってどんどんはみ出していかないと、と思います。そのためには、仲間を大切にしなくちゃ。自分のためだけじゃくて、仲間がはみ出していくためにも。みんなではみ出して、もっともっと面白いものをつくっていけたら最高じゃない?まじ最高!って心のギャルが言ってます。(心のギャルの話はまた今度書きたいです。)
ほんとうに、ある範囲以上において自分はもうアテにならないんだよ。そして、どんどんはみ出していかないと飽きちゃうし、飽きたらつくるのなんか面白くなくなっちゃうんだよ。私も自分のこととなると大抵のことは一人でやろうとしてしまうから、まずいなあ、と思います。
まわりにはこんなに素敵な仲間がいるんだから。
ということで、11月には大好きな仲間に名刺をつくってもらいます。
どうぞよろしくお願いします。