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いいチョイス

11月に入ったばかりと思っていたら、もうそろそろ終盤です。今年の下半期は本当にスピードが速い。だけど、1日1日は長いような気もしていて、なんだか変なかんじ。来年の展示の企画を練っていることも手伝って、2024年と2025年に片足ずつ置いているような気分です。クリスマスやお正月を気づかずスルーしてしまいそう。

クリスマスが近づくと、家族が題材の洋画を観たくなります。
『アイ・アム・サム』『クレイマー、クレイマー』『チョコレートドーナツ』。…なんだか、だいたいの作品で裁判してますね。

好きな映画には大きく分けて2種類あると思っています。
ストーリーや雰囲気やカット割りやその他いろいろひっくるめて好きな映画と、最初の15分が大好きで、あとはボーッと観るくらいの好きな映画。私は割と後者が多いような気がします。好きな映画は何十回でも観るのですが、後者に関しては最初の15分が過ぎたら立ち上がって別のことをしていることすらあります。
『007』シリーズはボンドが登場してバコーン!と敵(ラスボス?の布石みたいなやつ)をやっつける部分だけ観られればOKだし、『紅の豚』はジーナのお店で食べているローストポーク?と2色になるワイングラスが観られれば満足。これで映画が好きなんて言ったら、怒られそう。

さて、『アイ・アム・サム』は私にとって後者です。
ルーシーが生まれる日に、サムがスターバックスで仕事をしているシーンが好きです。まだ何の問題も(気づいて)ない時間。
サムがあらゆる注文に対して言う「いいチョイスだね(That’s a wonderful choice)」というセリフが好き。言い方の軽さもすごく良い。goodじゃなくてwonderfulというのも。

学生のころ、外国人観光客の多いエリアでアルバイトをしていました。通りから店内がよく見えるお店だったので、よく英語で駅までの道を尋ねられた。ある日、アメリカ人のお兄さんにいつも通り駅までの道を英語で説明したら、「お前の英語perfectだぜ!」と握手を求められた。
絶対に私の英語が完璧であったはずがない。いくら同じ場所への道案内の場数を踏んでいたとしても、たどたどしいものだったと思う。だけど、妙にうれしかった。「絶対に思ってないでしょ!」と思ったけど、うれしい気持ちの方が大きかった。

私は普段、褒められるのがめっぽう苦手だ。昔よりはうまく反応できるようになってきたとは思うけど、まだまだ穴があったら入りたい気持ちになってしまうことが多い。うれしいより恐縮が勝ってしまう。非常に日本人。
それなのに、あのお兄さんから褒められたのはうれしかったというのはどうしてだろう?

これを書いていて思ったのは、そのセリフを言った人がそう思っているだけで、それを相手がどう思おうが関係ない!というポジティブな一方通行が前提になっているからなのではないかと思った。「今俺が完璧だと思ったんだから、以上も以下もないぜ!」みたいな。

いいなあ。そういう感じで生きたいな。

写真を撮ることも、またひとつのチョイス。

この冬に、新しい場所に引っ越します。
実家を出たかったのもあるし、なにより活動拠点が自宅から車で1時間半かかるのは不便すぎるから。楽しくもあるけどね。

どこに引っ越すか、すごく悩みました。
引っ越しってお金がかかるけど、住んでみなくちゃ色んなことが分からなくて結構博打。しかも、「どうしても必要」ではない引っ越しは人生ではじめて。
「住めば都」という言葉もあるし、どこでも寝られるタイプだし、知ってる人もたくさんいるエリアだし、心配事は少ないはずではあるけれど。なかなかどうして、不安である。

先日、写真展に来てくださった先輩に「地元ってどこですか?」という質問を投げかけた。先輩は、「生まれ育った場所も地元だけど、今自分で選んで暮らしている場所が今の地元だ」と話していた。

いいなあ。グッときた。

「自分で選んだ」という事実が与えてくれる自信っていいなと思う。流れ流れて地元に帰ってきた私にいま必要なのは、そういう自信なのかもしれない。
普通に生活しているだけで、人間は1日に何万回も選択をしているらしいけど、そういうのじゃなくて、もっと意識的なやつ。
一つひとつ自分を取りもどしている感覚がうれしい。
もちろん、それは私ひとりではできないことで。そうであることもまたうれしい。
どうなるかは分からないけど、今は自分に「いいチョイスだね」と言ってわくわくさせておこう。

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