早速ですが,次の会話を見てください。
よくありそうな会話ですが,不思議な点に気づきましたか?A は B を誘っているので,望まれる返答としては「いいよ」や「行けない」など,行けるかどうかを明確に示すべきでしょう。しかし,Bは直接的な答えはしておらず,一見関係がないことを言っているように思えますが,A はB の返答が“断り”だと理解しています。
このように,私たちは言葉の裏に本音を潜ませたり,それを理解したりしながら会話をすることがよくあります。では,なぜそれができるのでしょうか。
協調の原理
その昔,ポール・グライスという哲学者がいました。彼は,実際に発する言葉には言葉通りではない意味もあると指摘しました。そして,それを理解できるのは,私たちに「協調の原理」というものが備わっていて,それを守りながら会話しているからだと考えました。
協調の原理とは,話す人・聞く人が協力しながら会話をするという理論で,次の 4つの公理が守られると考えます。
私たちは,これらの公理に違反した発言は不自然に感じ,そんな相手を友好的には思えないでしょう。
さて,①の B の発言は「関連性の公理」に違反しているように思えますが,特に不自然さは感じません。なぜでしょう?
それは,聞く側の信頼が影響しているからだと考えられます。例えば,B の発言を言葉通りに受け取ると,無関係な発言なので会話に協力的ではないことになります。
しかし,普通は会話に協力的なはずだ,と聞く側は無意識に考えます。そして,A は B がバイトのことを言った理由を瞬時に考え,次のように推論しま す。
・B は来週の土曜にバイトがある
↓
・だから新しい予定は入れられない
↓
・つまり,B は断っている
このように,言葉通りだと曖昧な発言でも,協調の原理に従って聞く側が話す側のことを信頼し,その状況に応じた意味を瞬時に与えるから会話が成り立つわけです。ただ,理解できないほど曖昧だと会話は成立しません。
会話を考えるということ
会話について考える時,どうしても話す側の視点で考えがちですが,会話というのは話す人だけでなく聞く人と共に協力しながら行うものです。そのため,どう伝えるかと同じくらい,どう受け取っているかという視点も重要でしょう。
また,曖昧な言い方は日本語の特徴だという意見もたまに見聞きしますが,フランス語でもよく見られますし,英語や中国語などにも程度の差こそあれ見られます。
これはつまり,コミュニケーションにおいて私たちが大事にしている何かが言葉の壁を越えてあるのかもしれません。そう考えると,なんだかロマンを感じませんか?
それでは最後に質問です。次の A の発言の真意は何だと思いますか?ちなみにこれは,ナイジェリア人の学者とその友人の実際の会話だそうです(Bariki 2008)。
あえて答えは書きません。是非,お考えください。