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大溪より台湾現地便り 5

前回大渓木芸生態博物館の一号館の建物が当時小学校の校長宅であったことを紹介したので、校歌にまつわる話も書こうかなと。

当時の資料によると、学校の沿革は明治30年12月に台北國語傳習所分教場として開校(寺子屋のような場所)、同31年10月1日に独立して大嵙崁公學校に、明治35年に新校舎が建てられ移転、その後年ごとに児童が増加し手狭になった為、大正8年に現在の地に新校舎を建築、大正10年末に全部移転、大正11年4月24日に大渓公学校と改称されたとあります。

この校歌は大正後期から昭和初期の「校歌制定運動」が全国的に広がった時期にできたもの。以前木藝博物館に展示していた資料に作曲:一條 慎三郎、作詞:北原白秋と書いてあったのですが、北原白秋は実際に台湾を訪れており、19346月から8月にかけて、台湾総督府文教局および台湾教育会の招請を受け、「懐島の旅」として台湾各地を歴訪しました。帰国に先立ち、《台湾青年之歌》《台湾少年行進歌》《林投節》などの詩作品を発表しています。その当時の記録によると、日本統治時代には、台北第二商業学校、豊原第一小学校、埔里農林学校の校歌も作ったとあります。大渓公学校の校歌も北原白秋が作詞した可能性が指摘されています。

校歌の一番では大渓の自然山紫水明をうたい、二番では「大御訓(おおみおしえ)」という現代では聞きなれない言葉が出てきました。これは天皇のお言葉という意味で、戦前の校歌に度々登場する言葉だそうです。また「師父」という言葉も大渓は木工職人の街でもあるので、あえてこの言葉にしたのか?と思っていましたが、当時の日本ではよく使われていた言葉だそうで、今の「先生」よりも更に親身、道を授ける人、という強い師弟関係のニュアンスがあります。三番では「茶の香」という言葉、当時大渓の紅茶は黒金と呼ばれ世界4大紅茶として供給不足が続くほど人気がありました。

日東紅茶の工場跡地はリノベーションされ、素敵な観光スポットになっているので、ぜひ大渓にお越しの際は足を延ばして訪れてほしいところです。また鮎も『台湾特殊風景』という当時の雑誌に「大渓群の巻、角板山と鮎の名産地」というコラムあり、当時のことが事細かに報告されています。お茶も鮎もこの地域に根付いた歌詞が採用されていることがわかります。

 

私の子供達もこちらの小学校(現大溪國民小學)を卒業しましたが、今の校歌は別にあります。日本語の校歌があると知ったときは歴史をしみじみ感じました。また実際にこの校歌を当時小学校に通っていたおじいちゃんおばあちゃんが歌っている動画がありますので、興味のある方はYouTubeで大溪國小校歌修正版で検索すると聞くことができますよ。

 

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