前回は主に成人した二宮金次郎がプロレスラーのようなとても立派な体格をしており、少年時代をイメージして作られた二宮金次郎像から想像する人物とは全くの別人のようだというお話をさせていただきました。

では、二宮金次郎はいったい何をした人物なのでしょうか。
二宮金次郎の大活躍は36歳頃から始まります。出身地の小田原藩のお殿様の目に留まったことがキッカケで、財政破綻した村の再建に携わっていくようになるのですが、生涯で北関東を中心として約610余か村もの再建に関わったと言われてます。6か村でも60か村でもなく、610余りもの村の再建に関わったのです!!そして、その村々で生活していた人たちを物心両面で救済したのです。ちなみに二宮金次郎を見出したのは、小田原藩(現在の神奈川県小田原市が中心)の大久保忠真公(1778年―1837年)というお殿様です。大久保家は譜代大名で、小田原藩は11万石の大藩だったのですが、その小田原藩ですら当時約20万両もの借金を抱えており財政再建をする必要に迫られていたのです。では、なぜ二宮金次郎に白羽の矢が立ったのか。それをご説明すると少し長くなるので、その理由については別の機会に余裕があればご説明させていただこうと思います。
重要なのはここからです。
私が考える二宮金次郎の特に偉大なところは次の3点です。
1つ目は、二宮金次郎が生涯で600以上の村々を再建していく過程で、正確な人数は分かりませんが、ものすごく多くの人々を物心両面で救済したという点です。
2つ目は、多くの弟子を育てたという点です。いくら二宮金次郎が賢人で働き者であったとしても、たった一人で600以上もの村々を再建させるという大仕事を成し遂げることは出来なかったはずです。この二宮金次郎が育てた弟子達が明治以降の日本経済の発展を支えていったと考えられます。
3つ目は、人間はいかに生きていくべきか、どうすれば生活・経済・商売はうまくいくのか、ということを確立し実践したという点です。この二宮金次郎の教えこそ、学ばずに生きていくことはもったいないと私が思うところなのです。
次回からこの3点について少しずつ解説させていただきます。
ところで、私は、二宮金次郎が何をした人物なのかがちゃんと伝わらない大きな理由として幼少期の苦労話のインパクトが強すぎることがあると思います。5歳のころに暴風雨により近所の酒匂川が決壊して一家のほぼ全財産を失い、14歳の時に父が他界、16歳の時に母も他界し一家離散状態となり、伯父さんに厳しく育てられる、など。。。幼少期から青年期だけでも情報量が多すぎてお腹いっぱいになってしまい、その先を学ぶ気になる人が少ないのではないかと。むしろ私たちが学ぶべきなのは、思想が熟成された50代以降に二宮金次郎が弟子たちに語った内容なのです。