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【二宮金次郎の教えを学ばずに生きていくなんてもったいない!!】

「第1回 一般的なイメージとは大きく違う二宮金次郎」

皆さんこんにちは。

 私は、二宮金次郎を尊敬する40代のおじさんマサオです。

 突然ですが、皆さんは二宮金次郎のことをご存知ですか?

最近は二宮金次郎のことを知っている人が随分少なくなってきたように思います。二宮金次郎は、天明7年(1787年)に相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山)で生まれ、安政3年(1856年)に下野国今市村(現在の栃木県日光市)で70歳のときに亡くなりました。日本で一番銅像になった人物とも言われており、後に二宮尊徳と名乗るようになりました。

 では、二宮金次郎はいったい何をした人物なのか、ご存知ですか?

 かくいう私も30代半ばまでは、二宮金次郎のことを全く知りませんでした。私が通った小学校の校庭にも薪を背負って読書する二宮金次郎像があったのですが、二宮金次郎が何をした人物なのかを教えてくれる大人は皆無だったため、勝手なイメージで幼少期にすごく貧乏して、苦学して、後々偉くなりました、ちゃんちゃん。。。そんなイメージしかありませんでした。

二宮金次郎像は、少年時代の金次郎をイメージして作られているので、小柄で華奢なイメージを持っている人が多いと思います。しかし、大人になった金次郎は182センチ、94キロというとても立派な体格の持ち主だったのです。江戸時代の成人男性の平均身長はおそらく160センチ程度だったのではないかと思うので、金次郎と同じ時代を生きた人にとって二宮金次郎は、現在の感覚でいうと190センチ~2メートルに近い巨人のような感じの人物だったのではないでしょうか。以前、小田原市にある尊徳博物館を訪問した際に実物大の二宮尊徳像を見たことがあるのですが、ご覧のようにプロレスラーのような体格でかなり迫力がありました。少年時代の金次郎をイメージした二宮金次郎像とは全くの別人のようです。

 ところで、ウェルビーイングという言葉を時々いろいろなところで目にしたり聞いたりするようになりましたが、私は、二宮金次郎の教えを学び、その教えを少しでも日常生活や仕事に役立てようと努力することこそがウェルビーイングの鍵ではないかと思っています。

「二宮金次郎の教えを学ばずに生きていくなんてもったいない!!」と、心の底から思う私の思いが、少しでも多くの方に届くと嬉しいです。

これからしばらく二宮金次郎についてご紹介させていただきます。

拙い文章ですが、どうぞお付き合いください。

 

参考文献 182センチ94キロについて

     『二宮金次郎の幸福論』(中桐万里子著、致知出版社)

 

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