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8.おばけの金太

おばけの金太

熊本県熊本市


見た目のインパクトが凄すぎる!子供の時に出会っていたらトラウマ級かもしれません!
これを出すタイミングを見計らっていました。数多の郷土玩具の中でも一際存在感があります。
黒い烏帽子を被った、張子で作られた真っ赤な顔の首が平木の先についているこの人形は平木に書いてある通り『おばけの金太』という首人形です。後ろについている糸を引くと、中に仕掛けた竹バネの作用で目玉がくるくると回り、赤い舌が出たり入ったりする仕組みになっています。
YouTubeの『熊本伝統の技』というチャンネルで製作過程が見られますがこの竹バネの仕掛けが複雑で見事な技でした。

『おばけの金太』という名前からホラー的なモチーフかと思いきやある人物がモデルとなっています。

熊本城を築城したのは安土桃山時代の武将、加藤清正です。加藤清正は織田信長の後継者を決める戦い『賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い』で柴田勢に突撃し、秀吉軍を勝利へと導きました。その後も活躍を続け、肥後半国19万5000石を拝領し大名となり、秀吉亡き後は関ヶ原の戦いでその功績を認められて肥後52万石の国持大名となります。
清正は、長引く戦乱で荒れ果てていた肥後を立て直すために、治山治水(ちさんちすい)工事や、水田の開発などに力を入れます。その工事の功績はたいへん大きく、現在でも現役で利用されているものがあります。また、南蛮貿易に取り組むなど、領地経営を積極的に行うことで、肥後は豊かになりました。そのため、加藤清正はやがて領民から神様のように慕われ今でも「清正公(せいしょこ)さん」と熊本県民から親しみをもって呼ばれているようです。

すいません、日本史が好きなので話がそれました。

言い伝えによると、加藤清正公が熊本城築城の際、金太という足軽がおり、風貌が滑稽で冗談を言って周りの人々を笑わせるので皆からおどけの金太と呼ばれ築城中の人気者だったようです。その金太をモデルに、西陣屋彦七(厚賀人形店5代目)という人物がからくり人形を製作し売り出したところ評判になったことが始まりのようです。現在は厚賀人形店の十代目、十一代目の職人さんが製作されているようです。

見た目も由来もユニークな『おばけの金太』ですがチベットでは赤色は魔除けに使われるそうでそれと関連付ける人もいるようです。一家に一金太あると魔性の物が近寄らなそうです。

熊本土産でもらったら嬉しいものナンバーワンは陣太鼓です。外側は小豆で覆われていて一見すると羊羹?と思いますが中に求肥が入っています。普通小豆は求肥で覆うはずなのに中に求肥が入っているなんて!と初めて食べた時は驚きました。肉巻きおにぎり的な感じですよね(?)

ではまた次の記事で。

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