60年代半ば高校生の時、親友の影響で突然お洒落に目覚めました。石津謙介のVANジャケットが繰り出すIVYスタイルが高校生や大学生に急速に浸透し、みゆき通りには全身IVYで決めた“みゆき族”が徘徊した頃です。僕は、ほとんどVANの宣伝誌と化したMEN’S CLUBを読みふけり、銀座のTEIJINメンズショップやSONYビル地下のMr.Vanに入り浸っていました。
1964年「平凡パンチ」表紙 大橋歩描くIVYの若者 特集に「キミはVAN党かJUN党か?」とある
しかし、大学生になるとぴたっと止めてしまいます。アングラ演劇に狂い、JAZZ喫茶でフリージャズを浴びるほど聴き、全共闘運動にも首を突っ込む祭りのような日々に突入。行動の中心が洗練の銀座から泥臭い新宿に移り、次第にお洒落には興味を失っていきました。
大学を卒業し、ドキュメンタリー映像の世界に踏み込むと、やはりそこもお洒落とは無縁の世界でした。僻地のロケ現場は勿論、徹夜続きの編集作業でも、スタジオの床に寝袋を敷き仮眠をとるのが日常茶飯事だったからです。
僻地のロケで着るのは、着古したぼろ着。泥や汗にまみれ、棘に引っ掛けてすぐ破れてしまうからだけでなく、安全面でもそれが一番良いからです。
僕は様々な生きものの撮影を通して、本来危険な動物というものは滅多にいないことを確信しました。動物が人を襲うのは、領域を侵されたり追われたりした時、彼らの方が我々に危険を感じ自衛しようとするからです。だから動物側のルールを心得ていれば、危険に遭うことはほとんどありません。
しかし、相手が人間なら話は別。危険な人間は残念ながらどこにでもいます。お洒落なサファリルックを決め込んで気取っていると、旅行者=金をもっていると宣伝するようなもの。ホールドアップに遭いかねません。ディズニーランドの探検ごっこのスタッフのように、「探検家」を絵に描いたような恰好の人は、アマゾンでもアフリカでも見たことが有りません。
山川惣治「少年王者」(1952)より 防暑ヘルメットにサファリジャケットの典型的な“探検家スタイル”
人はなぜお洒落をするのでしょう?お洒落した自分を、直接自分の目で見ることはできません。そこには他者の目が不可欠で、その意味で社会的な行為と言えます。無人島に漂着したロビンソン・クルーソーは、お洒落する気になるでしょうか。
動物では、例えばクジャク。豪華な羽根を持つのはオスで、これはメスたちを惹きつけ、自分の子孫を少しでも多く残すための戦略です。あらゆる生きものは外部からエネルギー源を取り入れ、その大半を生命維持に費やします。しかし、クジャクの豪華な羽根は、直接生命維持には不要です。にもかかわらず羽根づくりに大事なエネルギーを消費するのは、自分はそれだけパワフルなんだぞということを誇示するためだと考えます。だから、メスが惹かれるのは羽根の美しさではなく、それを生み出す力です。
莫大な富を手にした人の多くは、高価なブランド品を身に着け、高級車に乗り、豪邸に住みたがりますが、それらは生活に必須のものではありません。もしかするとそれはクジャクの羽根のようなもの。人間に内在する動物的本能なのかもしれません。ただしそれで人々が寄ってきたとしても、お目当てはご本人の魅力ではなく、お金の方かもしれませんが。
「ビュフォン博物誌」よりインドクジャク