世界中そうであるように、ネパールにもおじさんがいます。たくさんいます。それはあなたが想像するよりも遥かに多く─あるいはガンジス河の砂の粒ほどの─恒河沙数おじさんがいます。あなたがネパールに渡航すればするほど、おじさんの友達が増えるのは必然といえるでしょう。彼らをネパール語でこう呼びます、【ダイ】。
ネパール滞在中にわたしが毎朝モーニングを食べに行く喫茶店があるのですが、そこにはさまざまなダイが現れます。経営者のダイ、ツアーガイドのダイ、無職のダイ…。はじめこそ静かにこちらの様子を伺っているものの、ひとたび言葉を交わせば「おはよう、調子はどう?」「今日も仏画描くの?」と声をかけてくれるようになります。大体みんな同じぐらいの時間にやってきて、いつも同じメニューを頼む。そんな無量大数ダイ空間に紛れるのがなんとも心地いいのです(単位増えてる)。
ただ、ここはネパール。何も起きないわけはありません。この喫茶店に通い始めてしばらく経ったとき、カウンターに座っていた常連客のダイが「おい、どこに行ったんだ?」と大声を出したことがありました。顔を上げて見渡すと店内にスタッフの姿はなく、あろうことかキッチンの中のフライパンに火がかけられたままになっていました。そのことにいち早く気づいた常連客のダイ、「ちくしょう!」と言い放ち、颯爽とキッチンに入って迷わずフライパンを振り始めました。ついさっきまでカウンターで穏やかにコーヒーを飲んでいたのに、喫茶店の窮地を救うべく立ち上がり、ひよこ豆を炒め始めるダイ。これぞダイ・ハード。調理を絶対に引き継ぐという強い意志が宿る彼には、シンプルに火を止めるという選択肢はありませんでした。ついでにまな板の上にあった玉ねぎのみじん切りを加えてさらに炒め続けるダイを見て、傍らで笑い転げるわたし。勇敢な常連客のダイによってついには味付けまでなされ、わたしが笑い死んだ頃にスタッフが「あ、ごめんバナナ買いに行ってた〜」と戻ってきました。そこには完璧な炒め物が一品。この一件落着感もまたネパールです。本当、こういうことがあるからダイはやめられないんだよなぁ。
この喫茶店以外にも、わたしは仏画制作含めて一日中同じエリアにいるので、知ってるダイたちにばったり会うことも少なくありません。「おお、何してるの!カジャ(軽食)食べに行きますか?」と誘われれば「いいね、モモ※が食べたいな」と一緒にローカルなお店に行くのもまた楽しい時間です。
※モモ…チベット文化圏の蒸し餃子で、ネパールでもポピュラーな軽食。ネパール人は1日2食で、あいだにカジャと呼ばれる軽食を食べる。
もちろんダイのなかには善良なダイもいればそうでないダイもいるでしょうが、ダイを避けてネパールを通ることはできません。ダイを制するものはネパールを制す。彼らは、ネパールの魅力のひとつだといえるでしょう。