ネパールでチベット仏画を学ぶとなったら、現地で師匠を探さねばなりません。わたしはいまの師匠とは2016年からの付き合いですが、その前にも2年間教えてくれていた絵師がいました。気さくで優しい方だったけど、ネパール大地震を機に教室を閉めて、遥か遠くの村に帰ってしまったのです。
野良弟子が 途方に暮れて カトマンズ
そんなわたしの前に、虎に乗ったグル・リンポチェの如く現れたのが今の師匠なのでございます。
チベット仏画界における師匠と弟子、というといかにも厳かで精神性の高いやりとりが繰り広げられているように想像するかもしれませんが、こと師匠とわたしにおいてはさながらトムとジェリー。師匠はわたしより3つ年上で置き物のような愛らしい見た目だけど、山岳系騎馬戦士がルーツのタマン族だからなのか、プライドはカイラス山より高く、怒りの沸点はヘリウムよりも低いのです。対する「世界の末っ子」小粥ですから、出会って1、2年目は制作に関してよく言い合いになりました。
まずチベット仏画は複数人で分業して制作することがほとんどで、師匠は顔だけを描いたり、弟子の作品に勝手に手直しをする場合もあります。そもそもにみんなで描く、という意識があるのだけど、わたしは今も昔も自分だけで作品を描きたい思いが強いので、キャンバスという聖域を守ることに必死だったのだと思います。ただ、師匠もやっぱり仏画の腕はあって、彼の指導によって自分の作品が変わっていくのを実感してからは、リスペクトマシマシできちんと助言を聞くようになりました。
毎日お昼ごはんを一緒に食べたり、師匠の「日本語を教えてくれ」という申し出に騙すような形でコテコテの関西弁を教えるなどして少しずつ打ち解けていった我々。時には、「お手本を見せるから見ておきなさい」とキャンバスに向かう師匠の肩の上に気づかれぬよう消しゴムを乗せて笑い転げ、振り返った師匠に「Oh my god…」と軽蔑の眼差しを向けられたこともあります。いやそこは「Oh my buddha」だろう。
師匠はわたしが悪性腫瘍で長期入院していたときにも、ネパールにいる友人づてに激励のビデオレターを送ってくれました。本当に心配してくれているのが全力で伝わる師匠の姿が忘れられません。ちなみにそのビデオレター、iPhone機種変更してから消えちゃったんだけども。
師匠、元気でいてね。