旅をするのが好きです。
仏画修行でネパールへに行く以外にも、バックパックを担いでこれまで随分と国内外の行きたいところへ行きました。同世代の友人たちが、貯金したりSK-IIを肌に染み込ませたり、親になって子どもにパタゴニアとか着せている間も、わたしはずっと旅をしていたように思います。
特に海外を旅しているときには普段想像できないことが起こったりするし、いつもより喜怒哀楽も豊かになって、美しい景色に涙が溢れるわ、ついには世界平和まで祈ったりして、感情の収拾がつかなくなるのはいつものこと。
今でこそブログやInstagramが感情の整理をリアルタイムな旅の記録として請け負ってくれるけど、それまではスケッチブックに絵日記を描いていました。2009年にひとりでインドへ行ったとき、その日の出来事や思ったことを記録したことが始まりで、気づけばもうこの絵日記は10冊ほどあります。これらをいま読み返しても苦笑いするくらい破茶滅茶で、行く先々で遭遇する未知の体験の繰り返しが、自分をタフに仕上げてくれたのだなぁとしみじみします。
絵日記に書いてあるエピソードをひとつ。インドはわたしの価値観を破壊した国のひとつですが、ある街で乗り合いジープを待っていたときのことです。ジープが到着し、ドライバーが乗り場にいた16人を見るなり「OK、全員乗車しろ」と声をかけました。どう見ても7人乗りのジープ。16人は構造上無理だよ…わたしは思わず天を仰ぎました。それでももぞもぞと乗り込む面々、「ノープロブレムだ」と繰り返すドライバー。案の定、パーソナルスペースという概念がこの世に存在しないかのように乗客同士が重なり合う「さざ波」のような車内が爆誕したのですが、最後に乗った老女がサラリーマンの膝の上に迷わず座ったのを見て、わたしは静かに目を閉じました。どうやら車内でツボってるのはわたしだけのようでした。しばらくジープが走ってから、目的地に着いたらしい老女が下車したので我が事のようにほっと胸を撫で下ろしていると、別の老女が再びサラリーマンの膝の上に座ったので「もはやサラリーマン風の座席なんかな」とよく分からなくなりました。わたしがすべて間違ってたのかもと思わせるインド、すごすぎ。
こういうのって現地の人々からするとなんてことない光景かもしれないけど、わたしはなんだか異文化にビンタされたような気持ちになって、決して忘れるまいと宿に戻ってせっせとこの出来事を記録したのでした。
自分と異なる文化や価値観に不快感をあらわすのは簡単だけど、それを面白がれたら旅人にとってこんなに強いスキルはないと思います。それでまた、異文化にビンタされたくなるんですよね。でもインドでは仏画修行する勇気はないなぁ。