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④ネパールと信仰

わたし自身、仏教に親しんではいたものの、仏画を描き始めた頃はそこまで信仰に篤かったわけではありません。「気は強い・身体は弱い」でお馴染みの小粥、ここ数年に二度ほど死にかけていまして、そのたびに神仏の存在をどうにもこうにも意識せざるを得なくなったような流れがございます。

ネパールへ通い続けるのも仏画修行のためであることはもちろんですが、なんだかあの国の神々から手招きされているような気がする、そんな定期的な思い込みが人生を大きく変えてくれました。信じる者の強さよ。

さて、ネパールという国の約8割はヒンドゥー教徒、仏教徒は1割程度です。その他さまざまな宗教が存在しますが、お互いの信仰、文化を尊重し共生していて、非常に平和的な印象を待ちます。とりわけ首都カトマンズは「人より神様の数の方が多い街」と表現されるほどです。そしてネパールといえば、幼い少女が生き神「クマリ」として選ばれ、国の預言者となって崇められる民族や宗教を越えた独特の文化もあります。

かつて、「人のいのちを完成させる最後の1ピースは宗教だ」と指摘した僧侶がいました。地位も名誉も手に入れて、お金もあって家族がいる、それでもどこか心が満たし切れぬのは、宗教がそこに嵌まるようになっているからだと。いつの時代も、わたしたちの「なぜ生まれてきたのか、死んだらどこへ向かうのか」という疑問から生まれる不安は宗教(特に仏教)によって解決することができます。それでいうと、信心深いネパールの人々は人のいのちを完成させる「宗教」というピースを先に持っているように思えます。

数年前、わたしの通う工房のあるチベット僧院の前にはいつも物乞いの老女がいました。短い髪、黒く日に焼けた肌、小さな身体の彼女はよく観光客に煙草やチヤ(ミルクティー)を貰っているようでした。ある年、老女の姿がないので「彼女はどこに行ったんですか」と仏画の師匠に尋ねると、「今年のはじめに亡くなった、病気だったらしい。でも僧院の中で亡くなってたからね。そういう結末を迎えられるということは、グッドカルマを意味するんだ」と言いました。

長く物乞いをしながら生きて、そのままひとり病気で死んだとしても、いい転生が約束されている。だから大丈夫だと。慰めでもなんでもなく本当にそう思って言っている師匠と、「それなら良かったです」とすんなり信じることができる自分は、つくづく救いがあるよなぁと思いました。

④ネパールと信仰

ちなみに、工房の入り口にもよく物乞いがやってきてお腹がすいたとジェスチャーをしてきます。最初はそれが分からず何もできずにいると、物乞いが立ち去ったあとに遠くで見ていたであろう師匠がツカツカと歩いてきて、「キミはなんて優しくないんだ!最悪!」と言ってきたので喧嘩になったことがありました(師匠は怒ると鼻をつまんできますが、そんな攻撃をしてくる人は日本にはいないので本当に新鮮です)。

「人に施しなさい、優しくしなさい。それが未来にいいカルマを作る」とわたしにはそう言いながら、ピーナッツ売りや掃除機売り()のインド人を厳しく追い払う師匠を冷ややかな目で眺めつつ。

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