以前の「空のもっと先のソラヘ」-写しについて1の最後では
「目には見えない美しさや、その気配をどのように写すか」というテーマで撮影…取材?を行い、具体的にどんな事があったかについて触れると述べた。
つまり私の思う「神聖」な雰囲気の映像とは具体的にどんなもので、それらはなぜ神聖だと感じるのか。
なんともめんどくさい問いに何故か惹かれてしまう。
土台にキリスト教を学んでいたという事もあり、本能的に真理と言われるような類のものを求めるという変なクセが付いているようだ。決して良いものではない。
長年酷使した身体に起こる節々の痛みのように感じる。もしくは呪いか…
それはさておき、神聖な気配を感じる映像と言ったら、シンプルに神社仏閣を訪れれば何かわかるかもしれないと思い、地元岩国市の横山町にある白山神社を訪ねる。
2024年、冷たい空気が頬を赤く染める。1月の出来事である。
そこの神主さんはとても親しみやすい方で、私の不躾な質問にも一つ一つ終始丁寧に説明してくださった。
白山神社のこれまでのこと、そしてこの地域とどのような結びつきがあったか…そして神道についてのあらましについて。
以下白山神社については、私の主観が入らぬよう皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究部会と県神社庁が共同で制作したページより概略を引用。
せっかくなので知って頂きたい。
『貞観18年(876)加賀の白山比咩神社を勧請、元慶8年(884)社殿を創建、天正年間には毛利輝元公により神田を賜る。
慶長年間、吉川広家公岩国の地に移封されてより封内の鎮守と仰ぎ、吉川家歴代の産土神として崇敬せらる。
享保年間社殿の大造営、同13年神社林として城山の一部を奉納、元禄7年大鳥居の建立等歴代藩主の尊崇厚し。
当時の社殿は、壮麗豪華にして工作の妙を極め、殊に拝殿、楼門の如きは精彩粉飾を盡し関西の東照宮と言い伝えられていたが、惜しくも明治23年10月23日建造物全部を悉く灰燼に帰す。』
この時の経験としては、私にとってとくに大きな変化をもたらすものではないが、その変化に至る入り口としては必要不可欠なものであったと今では想う。
大きな波紋を生じさせる小さなきっかけのように。
何事も入り口が肝心だ…
事実白山神社は放火の被害に遭う以前は、全国的にみても興味深い由緒や、規模の大きい社として知られていたらしい。
今となっては何かの形で再現出来れば良いのにと感じる。
いろいろ脱線しそうな思考の中言葉を綴っているが、そもそもの神聖さについての自分なりの解釈を整理しておきたい。
この続きは文字数の制限の為また次回に…