サブカルチャー、カウンターカルチャーと呼ばれるものの中でも、私は特に「特撮」が好きだ。中でも「昭和の特撮」には目がない。
などと言うと、概ね濃厚な作品考証などを期待されてしまうのだが、特撮番組、あるいは映画についての作品論は、多くの論客がすでに語っているところであり、徹底された取材に基づく優れた論考に対して、私が優位に立てる要素は何も持ち合わせていない。
なので、別の角度から特撮を始めとするサブカルチャーについて述べていきたいと思う。
その角度とは「皮膚感覚」だ。
要は体験を記録しておくということである。就職のみならず、特撮も冬の時代を過ごしてきたと言われる団塊ジュニアの証言。総じて内省的な文章となる都合、つまらないものになる可能性は高いが、どうぞお付き合い願いたい。
さて、まずは私が物心ついた頃に初めて認識した特撮番組とアニメ番組から話を始めたい。
小学生くらいまでの記憶があまり残っていないのだが、その今にも切れんばかりの記憶の糸を辿ると、「バトルフィーバーJ」、「仮面ライダー(新)」、「ザ☆ウルトラマン」、「ウルトラマン80」、「無敵ロボ トライダーG7」に行き着く。すべて1980年前後の作品なので、私の時間軸で未就学児と小学生の狭間といったところだ。
正直、放映されていた作品自体の記憶は成人後にあらゆる映像媒体で補完しているので、幼児の私が面白がっていたのかどうかは定かではない。
しかし、それが何故強烈な記憶として残っているかを考えたとき、関連商品、いわばおもちゃで遊んでいたからだというロジックが最もスッキリとした答えとなる。5つのコンテンツのうち4つまでもが、現在は親会社のバンダイに吸収された「ポピー」というメーカーの手がけたものであり、あとの1つは今は亡き「クローバー」というメーカーの手によるものだ。すなわち超合金に代表される「合金トイ」最盛期と重なる。
残念ながら、おもちゃを欲しいままに買って貰える環境ではなかったので、遊ぶには微妙に足りない「品揃え」だったものの、4つのコンテンツすべてのおもちゃを何かしら所持していたことは間違いない。
この「原体験」が強烈過ぎたのか、後々になってもこれらのコンテンツの関連商品を気にし続けるという呪縛に悩まされることになるのだが、それは機会があれば話そうと思う。
ところで、ここで強く言及しておきたいことが一つある。
それは、幼児期にとってこれらのコンテンツは、マイノリティではなくマジョリティが享受するコンテンツだったことだ。少なくとも当事者にとってサブカルチャーと呼べるものではない。
どこでサブカルチャーと認識されるに至るかは、「卒業」というイニシエーションが関わっている。要するに私はそこをすっかり逃してしまったわけだ。
次回からはどう「卒業」に失敗したかを連投していくつもりだ(笑)。