雨過天晴 蕪村忌
香港での汝窯青磁筆洗の落札は、美術市場価値に大きなニュースとなって伝わってきた。川端康成が存命中、彼がこの種の静謐な美に並外れた関心を示していた事は、その審美眼を裏付けていると感じる。世間がその経済的価値を認識する以前から、もっと言えばネット社会になる以前から価値を看破していたことになる。ものすごいことである…
関心している内にもう師走となった。
川端の旧蔵品の中には、池大雅・与謝蕪村合作の『十便十宜図』がある。文人の日常を主題とする作品で両の手で収まる寸法の画帳と対峙する時間は、外界の騒音から隔離された「静寂性」への志向があったのではないかと想像させる。美術への選択基準は、所有者の内的な価値観を反映するのではないだろうか。
今更であるが与謝蕪村は江戸時代中期人。俳風復興を掲げ、俳句の芸術性を高めた。俳諧と南画を兼ねた稀有な人物でもあった。中国古典文学にも傾倒し、その世界観を自己の創作活動に取り入れ独自の世界を作り上げていった。
蕪村という号は、陶淵明の『帰去来辞』より「人の寄りつかぬ荒れ果てた村」を意味するこの号の選択は、俗世との距離を意図的につくり、自己の創作環境を確保しようとする、文人としての姿勢を示しているのだろうか。
小糸…
蕪村の晩年、若い女性に恋をする。
周囲の反対でその若き芸者との恋を諦めることとなる。
その年の暮、蕪村はこの世を去る。
「白糸の しらじらと寒し 川瀬かな」
天明3年(1783年)12月25日は春星忌
