いまや毎年“恒例”となったハロウィン、今年も渋谷は厳戒態勢でしょう。仮装した日本の若者だけでなく、コロナ以後急激に増えたインバウンドの外国人たちも多数見物に集まるからです。何しろ、大のおとながハロウィンで騒ぐのは、欧米人から見ればとても珍しい光景です。
僕はかつてカナダの亜北極圏で、文字通り街を挙げた厳戒態勢の中で行われるハロウィンを取材したことがあります。所はハドソン湾に面したチャーチル。人口1,000人足らずの小さな町ですが、古くは毛皮貿易から近代の穀物輸出まで、重要な港です。
しかし、問題はこの町がホッキョクグマの移動ルートの上にあること。このところ日本各地で騒動を巻き起こしているツキノワグマやヒグマが食肉目でありながら、実は食べ物の大半が植物食なのに対し、ホッキョクグマはほぼ100%肉食。大きなものは体重800kgにも達する地上最大のプレデターです。冬の間クマたちは湾の氷の上で海獣類を狩って暮らします。ところが、春に氷が解けてしまうと陸に上がらざるを得ず、それから約半年間、ほとんど何も食べられません。その腹を空かせた数百頭の捕食動物が、秋になるとチャーチル近郊の岬に集まってきます。そこが、湾の沿岸で一番早く凍結するからです。移動中のクマは度々町中に侵入し、空砲で追い払われますが、駆除されることはありません。

チャーチル近郊の岬に集結したホッキョクグマたち
当然のことながら、この町では子供の一人歩きは厳禁。娯楽施設が無い小さな町で、冬の間一日中室内に閉じ籠っていなければならない子供たちにとって、ハロウィンはほとんど唯一の楽しみです。この日ばかりは町の大人たちや警察、自然保護のレンジャーらが総出でパトロールし、子どもたちをクマから守ります。厳戒態勢の中、子どもたちはおばけや魔女など思い思いの仮装(ただしクマの仮装は、誤って撃たれる危険があるので禁止)をし、家々の戸口に立ち、“Trick or treat”(“いたずらか、もてなしか”=“ご馳走を出さないといたずらするぞ”の意)と叫んでお菓子をもらって歩きます。

カナダ・チャーチル ハロウィンの子どもたち
極北の町の冬は日が短く、暗くなった街路をかぼちゃの提灯片手に歩く小さな妖怪たちの姿には、ハロウィンの原点に還った様な錯覚を覚えます。
レイ・ブラッドベリのファンタジー小説「ハロウィーンがやってきた」は、8人の少年たちが、時空を超え、古代エジプトの死者の都や、ケルトのドルイド教、メキシコの死者の日などを旅し、死や幽霊、呪いなどの恐怖が文明の形成に強く影響した様を目の当たりにします。そしてその根底にあるのが、夜の闇への怖れ。沈んだ太陽は明日再び昇ってくるだろうか?秋が深まり、日に日に衰えていく太陽に、古代の人々は不安を募らせたことでしょう。
しかし、現代文明はそうした怖れをことごとく追放してしまいました。
“地球の上に朝がくる その裏側は夜だろう”と、川田義雄とミルクブラザーズが能天気に歌えるようになるのは、コペルニクスの地動説以後の事なのです。
けれども、ある特別な日だけ「夜と夜明け、春と秋、生まれることと死ぬこと」を考える習慣が残ります。それがハロウィンです。
ハロウィンの夜、闇の中から蘇ったおばけたちの訪問を受けた時、あなたは、“いたずらか、もてなしか”、どちらを選びます?
レイ・ブラッドベリ「ハロウィーンがやってきた」の挿絵(ジョゼフ・ムニャイニ絵)