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整然と静然と – 嗜好のけんちく〈13〉

萩にある二つの毛利家墓所について書く。

山口県萩市は言わずと知れた歴史の街。数々の史跡や名所を辿ることができる。最近はおしゃれなお店やギャラリーも増え、萩城周辺の歴史的街並みや松下村塾、幕末の志士たち所縁の場所など魅力的な散策コースになっているが、時間が許すなら中心部から少し離れた萩藩歴代藩主の毛利家墓所にもぜひ足を伸ばして欲しい。

藩政時代毛利家の墓所は初代を別格に、偶数代(昭)を大照院、奇数代(穆)を東光寺に弔うという昭穆制(しょうぼくせい)を採ったことから歴代の萩藩主とその妃、一族関係者の墓が、萩市内の大照院と東光寺にそれぞれ残されている。

大照院の毛利家歴代藩主の墓所(国指定・史跡)

その空間を初めて体感すると、息を呑む。幾何学状に敷かれた通路と整然と並ぶ灯籠群。灯籠の数は500600基に及ぶ。門を潜って墓所内に足を踏み入れると、それらが緩勾配地形に配置されることから、全体を見渡せて、パース効果により遠近法や立体感が強調され、墓所全体がよりダイナミックにこちらに迫って来て、圧倒される。

 

奥に鎮座する歴代藩主と妃の墓の前には、仏教寺院ではあるものの鳥居が配置され、当時の神仏習合の名残りと神聖な霊域であるという示威的意図があったとも指摘されている。

 

ちょうど同時期の16世紀末から17世紀初頭にかけてヨーロッパで流行したバロックにも通じる神聖さや荘厳さ、威厳や権威性などを強調する劇的な演出。山口県の片田舎に残されたバッロック的空間だと考えると、見え方も少し変わってくる。

東光寺の毛利家歴代藩主の墓所(国指定・史跡)

大照院と東光寺それぞれの墓所で構成などに共通する部分もあれば、墓の形式は大照院では五輪塔形で、東光寺は唐破風の笠石付角柱(位牌)の形であったり、敷石の敷き方など違う部分もあり実際に両方訪れ比べてみるのも面白いかも知れない。

東光寺の三門(国指定・重要文化財)

大照院は臨済宗、東光寺は黄檗宗の禅宗寺院で、建物や宝物が国や県の文化財に指定されている。特に東光寺では墓所に至るまでに中国風の立派な大遺構が連なり、往時の権勢を感じることができる。禅宗寺院特有の整然と幾何学的に構造物が配置され、それぞれの建物は大ぶりで、建物を構成する部材も細かく規則正しく反復され、それらをキチッキチッと真っ直ぐに辿り巡っていくように計画された動線設定。これでもかと「整然」が繰り返される。

 

一方で周辺に広がる穏やかな中国地方の自然や情緒に包まれた、地方の長閑で大らかな雰囲気を纏いながら、200300年の時間を経て、そこにただじっと、静かにあり続ける姿は、辞書には存在しないが「静然」という表現がぴったりな気がする。

 

【所在地】

□霊椿山大照院(臨済宗南禅寺派)

山口県萩市椿青海4132

https://maps.app.goo.gl/dxDfUHzU34T7ViGt5

 

□護国山東光寺(黄檗宗)

山口県萩市椿東1647

https://maps.app.goo.gl/KT8xCY1e9HZfAd5s8

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