今回は「郷土玩具と旅」という少し違うテーマで書かせていただきます。といっても民藝のことも勉強中なので話はだいぶ逸れるかもしれません。
よければお付き合いください。
2.5連休があったので島根県・鳥取県を一人で旅してきました。島根県といえば大正から昭和にかけて展開された民藝運動の重要人物である河井寛次郎の出身地。また同じく民藝運動メンバーであったイギリス人陶芸家バーナードリーチも何度も訪れ、島根県の焼き物文化に大きな影響を与えています。
まずはお目当てのものを目指して出雲に向かう。
真夜中に出発したのですがとにかく中国道は車通りが少なく誰もいなくて逆に怖い。深夜2時に出雲の道の駅に着き車中泊。海沿いの道の駅だったので朝の散歩が気持ちよかった。
そして海沿いを車で走り20分程で出雲大社に到着。
お目当ての品はこれ「大社の祝凧」
出雲大社から歩いて5分ほどの所に「大社の祝凧 高橋」というお店を構えておられます。
お店に入ると大きな祝凧が。製作者の高橋さんが凧の製作をされていました。「おーい」と呼び、奥から出てこられた奥様が接客してくださいました。祝凧は大・中・小とあり悩みましたが部屋に合いそうなサイズの中を購入。世間話等をしてくださいました。
「鶴」と「亀」の字が描かれたこの祝凧。私はこの祝凧の見るからに縁起物である堂々とした絵付けや、丸っこいフォントが好きです。
この祝凧の由来ですが出雲大社の右手に鶴山があり、その麓に千家国造、左手の亀山の麓には北島国造といういずれも出雲大社に勤める宮司がいた。元禄の頃(1688〜1704)から、この両家に祝い事があると、鶴、亀を書いた大きな字凧を揚げて祝ったそう。この習慣が後にこの辺りの集落の人達に伝わり、結婚や出産などの慶事があった正月には親戚が集まり、畳二から三畳もある大きな大凧を揚げるようになった。とのことです。
赤い凧「鶴」は、左側に羽根を広げた鶴が木に止まる姿を表し、右側にはひらがなの「つる」や、穀物や家宝を連想させる「くら」と読めます。
黒い凧「亀」は、上側に大黒様の打ち出の小づちや袋、右下に米俵を表しています。
写真に写っている「ジョーキ・鯛車」というものは現在販売されていないとのこと。「ジョーキ・鯛車」はそれぞれの家庭で作られていた、小さなコマがついた和紙貼りの舟型・鯛型など独自の舟のことのようです。この地方では大型の舟のことを全てジョーキと呼んでいたそう。ろうを温めて紙に模様を線描きし、その上から赤・青・黄色の絵の具で彩色するとろう引きした部分だけが残り模様ができるようです。
鯛車は両側のヒレが内部で糸で吊り下げられており、台の下の車輪を動かすとヒレがゆらゆら揺れる仕掛けになっている。これらの中にローソクを入れ、毎年七夕の頃からお盆にかけて子供たちが道を引いていく風習が江戸時代からあったようです。
これを家庭で作るのは高度すぎるのでは?と思いましたがそれぞれの家庭でオリジナルだったり簡易的なものだったりするのかもですね。大きなものは全長1メートルもあったようです。親の努力を感じる。
今思うと作り手から直接郷土玩具を購入するのは初めてだと思います。こうして製作者の手から買わせていただくのはとても愛着が湧くものですね。
その後高橋さんのお店を出た後、目の前に出雲そばの「きずき」というお店があったのでお昼時ということもあり順番待ちをしました。
お店の中にも祝凧が飾ってありました。おそらくこれはこの辺りのお店に高確率で飾ってあります。
メニューを見ていると「出雲そばとあごのやき」というメニューがあり、興味本位で注文。あごのやきはちくわみたいな見た目ですが食べてみるとちくわよりぎっちりしている感じ。これめちゃくちゃ美味しいです。あとで調べるとアゴとはトビウオのことみたいです。蕎麦湯も美味しくいただきました。ごちそうさまでした。
出雲大社を参拝し出雲から南東の方へ向かう。
出西窯を訪ねました。出西窯も民藝運動の影響を大きく受けた窯元です。器を購入したら「窯元割で少しだけお安くしておきます」とのこと。嬉しい。
ここにも祝凧が飾られていました。
登窯は見学できたのでみせてもらいました。
詳しくは
https://www.shussai.jp
そして松江に向かう。とりあえず松江宍道湖あたりで夕食を食べようと思い運転していたところ島根県立美術館にて「柚木沙弥郎 永遠のいま」という展示があることに気がつく。
柚木沙弥郎といえば染色工芸家でありながら商業デザインや絵本の製作も行われていたので目にしたことがある人も多いと思う。
入り口の作品だけは撮影可能でした。
作品や柚木沙弥郎の生涯にわたる製作への意識を鑑賞してとても感動してしまった。
「ものを選ぶということは、自分に自信を持つこと」という言葉に背中を押されたようだった。
私自身、自分の美的感覚に自信が持てなかった時間が長く「万人に認められるものでないと価値がない」と思っていた。30歳を過ぎた辺りから自分が良いと思う物がだんだん確立していったように思う。
「自分が良いと思ったものは自信を持って愛して良い」と柚木氏が言ってくれているように思えた。
それと同時に自分の好きな物への距離感も大事にしていかなければいけないと感じた。自らが美しいと思うものに固執し過ぎては他人の美意識を否定しかねないなと感じたから。
島根県立美術館は宍道湖の傍にあり夕陽が美しかった。湖の畔にも立体作品があり、公園にはランニングをしている人やカップルや親子連れがいてやっぱり良い街だなと思い夕陽の美しさと柚木氏の言葉も相まって少し泣いてしまった。
島根県立美術館ではコレクション展で河井寛次郎の作品も展示してあってこれも観れて良かった。
鳥取旅のことも書きたかったですがあまりにも長くなるので今回はこれくらいにしておきます。長々と付き合いいただきありがとうございます。
とにかく島根と鳥取は横に長かった。