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場所を選ぶ – 嗜好のけんちく〈8〉

デザイナーの梅原真さん、カッコいいなーと思っている。お仕事や著作、テレビ等への出演、色々なところでお目にかかることができる。原研哉さんは梅原さんのことを「義憤の人」だと紹介していた。そんな梅原さんの有名なエピソード。四万十川に掛かるある沈下橋に取り壊しの話があった。それを知った梅原さんはその橋を渡った先に引っ越して4年間住んだそうだ。それが自分にとって最大のデザインだったと語る。奥さんには叱られたようだが笑。

詳しくは:http://www.umegumi.jp/local_chinka/

周南市の徳山駅前にはいくつかのアーケードが連なる駅前商店街がある。平成の初めまでは県下随一の賑やかでおしゃれな街だった。子どもの頃、大きなおもちゃを買ってもらったり、映画館に初めて連れて行ってもらったり、両親に連れられて行くことが嬉しく誇らしかった記憶がある。先輩方の話では週末はいつも肩がぶつかり合うほど人で溢れ、連れと一度逸れるとあっという間に見えなくなるほどだったと。

そのアーケードの一つ、銀南街の2階に今、事務所を借りている。

銀南街商店街の2階、事務所の前から。

銀南街は昭和28年に木造3階建ての商店街として発足し、昭和40年に鉄筋コンクリート造6階・地下3階のほぼ今の形に生まれ変わった。

9年前に山口に帰ってきて、縁あって徳山駅周辺に最初の事務所を借りた。20数年ぶりに駅周辺、商店街を歩いた。今は人波に飲まれることもないし、商店街の端から端までよく見渡せる。各地の地方都市で見られるように栄枯盛衰を経ている。それでも一部は趣のある雰囲気。特に銀南街にはアーケードに面して2階の通路があり、なんとも魅力的な空間があった。アーケードの屋根に隠れたその上の3〜5階には、なんとも言えぬ古びた味のあるマンションが連なっていたことも初めて知った。

マンション部分の屋上には「銀南街」の看板が載る。フォントがかわいい。

なんとなく知ってはいる場所だったが、銀南街のアーケードや建物、場所の雰囲気に改めて惹かれた。

そんな折に4階の部屋が入居者を募集していた。少しリノベーションして1年半ほど事務所として借りた。

足元に戦後復興のバラック街から商店街に発展していった銀座中央街、そこから駅の方へ昭和〜平成に広がっていった商店街やアーケード群、商店街の一部を取り壊して新たな商業施設・オフィス・ホテル群を建設する令和の駅前再開発工事、新幹線やその向こうには工場夜景で有名なコンビナート、戦艦大和が最後の寄港地として入港した徳山湾まで、徳山の歴史を一望できた。

左:銀南街の4階に入居した2022年9月。右:現在。

日々、色んなけんちくや営みが現れては消えていく風景を眺めていたが、再開発の建物が完成し、新幹線や工場夜景が見えなくなった頃、同じ銀南街の2階のアーケード内のテナントが空いたので、去年そこへ引っ越した。今は毎日、商店街を行き来する人やそこでの営みを何の気なしに眺めている。

 

梅原さんほど思いがある訳でも無いし、商店街を守ろうと思っている訳でもなく、変わっていく風景が良いとか悪いとか言いたい訳でも無い。いろんなことが日々変わっているし、何とはなく見ていたいと思って今の場所を選んでいる。

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